会社エピソード

会社の成り立ち

創業者 金山昭治(創業当時、30代)

なるみ物産は、1961年(昭和36年)12月、乾物販売会社の専務だった金山昭治(かなやま てるはる)が独立して創業しました。
「なるみ」は、この仕事で「実がなる=成功する」ようにという創業者の想いから名付けられました。

当時は、海苔も珍味も乾物の一つとして扱われており、海苔や昆布を東京・上野などに卸し、帰りに当時広まりつつあった、さきいか・あたりめ・ナッツといった珍味を仕入れ、広島で販売。
販売先としては酒屋、官公庁の売店のほか、バーやキャバレーなど夜の飲食店が中心でした。
また、原料を仕入れて社内で袋詰めを行い、オリジナル商品としての販売も行っていました。

創業者・金山昭治と「なるかみ」さん

創業者/初代社長 金山昭治
イラスト原画現在のロゴマーク

創業者の金山昭治は、1928年(昭和3年)に西条町(現在の東広島市)で「かなやま醤油」を経営していた金山金一の三男として誕生しました。
少年時代は、地元でも有名な暴れん坊だったといいます。足が速く、明治神宮競技大会(国体の前身)の陸上競技にも出場するほどでした。
戦後は広島県庁、かなやま醤油に勤務した後に、乾物販売会社に勤務。独立して、なるみ物産を創業しました。

金山は親分肌で、曲がったことや約束を違えることが大嫌いでした。社を訪れる担当者が遅刻したり、約束を違えた際には烈火のごとく怒り、雷を落としていたそうです。
その怒りっぷりがあまりにも印象に残った包材会社のデザイナーが、鬼の顔をした雷神と金山を重ね合わせてイラストを作成。「金山昭治は、なるみ物産のかみなり親父さん」と評して、描いたキャラクターを「なるかみさん」と名付けました。それが現在の「なるかみさん」のロゴの基となりました。

当人は、「わしは仏さんに砂糖をまぶしたような男じゃ」とよく話していましたが、社員はみんな「鬼瓦に塩をまぶしたような人だ」と思っていたという逸話も残っています。
また、金山の口ぐせは「運鈍根(うん どん こん)」。「牛のよだれのように、鈍くさく、ゆっくりとしても根性を持って取り組め」とよく話していました。

生協・量販店に向けて

本社ビル

1981年(昭和56年)9月のフジ高陽店オープンと同時に株式会社フジとの取引がスタート。後に2代目社長となる内田憲史を中心に、株式会社フジの店舗網拡大に合わせて、酒屋や飲食店への販売から徐々に量販店への販売に軸足を移していきました。
1990年(平成2年)には生協ひろしまとの取引も開始。生協・量販店との取引を重ねていく中で、現在のなるみ物産の物流・品質管理に関するノウハウを蓄積していきました。その結果、1999年(平成11年)頃には、一部の店舗を除いて、夜の飲食店への納品を終了しました。

珍味問屋として

本社内に会場を特設

2003年(平成15年)頃より大手食品問屋への営業を強化し、販売先を中四国地方から全国へと徐々に広げていきました。
その中で、自社設備の老朽化、作業者の高齢化が進み、食品業界に求められる衛生基準への対応が困難であると判断し、2006年(平成18年)1月末をもって珍味の自社工場での加工を終了。OEMでの製造に特化し、現在のなるみ物産の営業形態である卸売業としての販売を強化した事業展開を開始しました。

その後、2007年(平成19年)6月に逝去した創業者金山昭治の後を受けて、2代目社長に就任した内田憲史のもと、珍味問屋として販売チャネルの拡大に注力していきました。

2010年(平成22年)10月には、楽天市場に「なるかみさん」を開店し、通販事業をスタート。2013年(平成25年)3月より東京に駐在員を配置し、東京での情報収集を行うとともに、東日本での営業体制を強化しました。
県外への営業活動を強めていく一方で、地元広島では近隣の方の「商品を直接売ってほしい」という声に応え、2016年(平成28年)10月から本社にて店頭販売を開始しました。

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